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働くって何だろう?ぼくたちわたしたちのみらいとfutureを考える日記

病気でバイトができなかった時に出会ったのがライターのお仕事

ライターの仕事を始めたきっかけとは?

クラウドソーシングのライターのお仕事

私がライターの仕事を始めたいと思ったのは、もうかなり昔になります。

それは、二人目の子供を妊娠した時、しばらく外に出ての仕事はできないと思ったことがきっかけでした。

その頃はまだネットなどの普及も少なかったことから、私は在宅でできるライターの仕事を求人雑誌から探していました。

その時に目に留まったのが、「国際画報社」という銀行などに置いてある月刊誌のライター募集の記事です。

早速、大阪の事務所に話を聞きに行くと、数名の俳優さんたちが地方の中小企業の社長さんたちにインタビューをして、そのインタビューテープを起こして記事にするという仕事でした。

テープは郵送してくれるので、それを期日までに文章に直して郵送でまた送るというもので、自宅ですべての仕事が完結するという流れで、当時の私にとってはありがたい仕事だったのです。

そこで数か月仕事をこなしていると、雑誌自体のコピーやレイアウトなどをまかされるようになり、仕事としてのやりがいも感じるようになりました。

国際画報社の仕事は3年ほど続きましたが、こちらの状況が変わり、私も外で働くようになったことから、退社することになりました。

その後、出会ったのは、「もの書き屋」という東京の会社でした。

こちらは、ネットで募集をしており、あるキーワードに対して記事を書く、という仕事です。

ネットでのやりとりなのでとてもスムーズに仕事ができることと、報酬もかなり良かったので、お仕事をさせて頂きました。

この会社と出会った時は、自営業のテニスショップをしている時で、たまに時間が空く時にする仕事としてはとても良いと思い、5年ほどお仕事したと思います。

その後はスーパーのパートをしたり、ユニクロで忙しかったのですが、ユニクロに勤務してから4年後にがんが発覚しました。

突然の病になった場合どのように稼ぐ必要があるか?

突然のことで、手術、その後の抗がん剤と続くのですが、抗がん剤の副作用がきつかった時、考えたのです。
抗がん剤はとてもお金がかかります。

高額医療で申請しても、一か月に抗がん剤だけで7万円もかかる薬もあります。

私は、35歳の時に主人とも別れ、3人の子供を育ててきたので、貯金などもありませんでした。

何とか、がんでも仕事を続けなければならないと考えた時、入院せずに日帰りで抗がん剤治療ができる制度を利用し、毎週1回、公休日を使って治療に通いました。

最初の抗がん剤治療から半年がたった時、一度、完治したと聞き、抗がん剤も中止になったのですが、それから半年後、再発しました。

再発すると、もう完治はありません。

しかも、私はステージⅢCと言われていたので、5年後の生存率が30%と言われていました。

これはもう覚悟を決めるしかない、そう思い、職場にも病気のことをすべて話し、でも仕事は続けたいと申し出ました。

店長も上司もとても良い方ばかりで、その気持ちを汲み取ってくださり、できるだけ負担のない仕事へとまわしてくれていましたが、店長代行と関西ブロックのCSリーダートレーナーの仕事をしていた私には、肉体的にも精神的にも限界だったのです。

会社に迷惑をかけるのも嫌で、退職を決意しました。

その後はイトーヨーカドーというスーパーの精肉部門で完全なパートとして働くことにしました。

いちパートとなったので、精神的にはかなり楽になりました。

肉体的にも勤務時間がかなり短縮されたので、体も楽になりました。

しかし、ここで問題はやはり金銭的なことです。

ユニクロではかなり稼げていたのですが、イトーヨーカドーではその半分もありません。

しかし、兼業するには体がもたないと思っていた時に、ライターの仕事を再度思い出しました。

それからはいろいろなサイトなどでライターの仕事を探し、いくつかの会社と契約をすることができました。

その頃から少しずつ仕事をしていたので、イトーヨーカドーが閉店になってしまってからは、ライターの仕事を本業にできたらと考えるようになりました。